はじめてのDiY
居住空間をシェアすることについて考える

この夏の大部分をヨーロッパで過ごした。ドイツのハイデルベルク大学で、ポピュラー音楽のワークショップがあり、そこに招待されたのがひとつの理由だが、せっかくなのでロンドンまで足を伸ばして、久しぶりに図書館に通って資料を集めていたのだ。
長期滞在しようと思った理由は、もう一つある。たまたま知り合いを通じて、長期のホリデイに出かける家族から、留守の間にその家に滞在して飼っている猫とモルモット、金魚などペットの世話をしてくれないかと頼まれたのだった。ペットの世話をする代わりに4ベッドルームで庭付きの家を占有できる、というのである。家はロンドン大学のゴールドスミスカレッジのすぐそばだ。ちなみに、その家族とは直接の面識はない。けれども、おかげでペットに餌をやりつつ大学に通うということで、暑い日本の夏から逃れることができた。
夏休みに長期休暇を取る習慣があるヨーロッパでは、このように誰かに留守番を頼むというのは決して珍しくはない。もちろん、誰でもいいというわけではないから、広告や宣伝を出すわけではなく、知り合いの範囲で頼むのだが、いずれにしても留守にしておくよりは安全だし、何よりもどの家も犬や猫などペットを飼っているので、その世話を頼みたいということだろう。
けれども、これを日本と比較するとかなりヨーロッパ独特の固有の習慣でもある。そもそも日本で2?3週間もの長期休暇を取って家族で出かけるという習慣がないことが問題なのかもしれないが、仮に2週間家を空けるにしても、家族や親戚以外の(知り合いを通じてとはいえ)知らない人に泊まってもらうということはあまりないのではないか。ペットも誰かに預けることですませているはずだ。
ヨーロッパ人は、日本人と比べてパブリックとプライベートの区分がはっきりしていると言われる。もちろん、一般論としてこれは正しいのだが、その一方でプライベートな空間の中心である居住空間を一時的に人に使ってもらうことに対する抵抗は驚くほど小さい。
特にイギリスのフラットは、家具付き(これには食器や家電も多くの場合含まれる)が多いが、これも大家が使っていたものをそのまま貸し出しているものである。もともと家族で家全体を使っていたけど、構成員が成長して出て行った後に空いた部屋を他人に貸す、なんていうのは、よくあるフラットの形式である。キッチンやバス・トイレは共有の場合が多い。一方、日本で、全くの他人に使わなくなった部屋を貸しているなんていうのは、よっぽどの豪邸でもない限りあまり考えられない。
イギリスのこうしたシェアの習慣を見ればわかるが、プライベートの境界線が家という居住空間の外側と内側の間で引かれているのではなく、居住空間の中に半ばパブリックな共有空間が確保されているのだ。そして、このことは、家族の間にさえも一定のパブリックネス(公共性と訳すべきだろうが、日本語だとニュアンスが変わってしまうのであえてカタカナのままで表記しよう)が存在することを示している。
ところで、最近日本でも若い人と話していると、さすがに休暇中に誰かに住んでもらうというのはないにしても、ヨーロッパ固有のものと思われていたハウスシェアやフラットシェアが、増えつつあるような気がする。『ラスト・フレンズ』のようなテレビドラマの影響もあるのかもしれないが、数人で都心に広めのマンションや一戸建てを借りて、家賃を分担し、キッチンやバス・トイレは共同で使おうというものだ。
少子化の影響もあり、家族用の一戸建てやマンションは今後都心部では空き家・空き部屋が増えていくだろう。共同生活は、単に家賃を浮かせるだけではなく、セキュリティの面でもメリットがある。新しい都市空間の利用法である。今は友人同士で借りるのが主流だが、そのうちいろいろなパターンのシェアが生まれるだろう。
けれども、居住空間の中の共有空間の実際の使い方については、いろいろと試行錯誤がまだまだ必要だ。必要以上に近すぎることもなく、かといって完全にアカの他人でもない新しい関係。こうした関係が日本の居住空間に根付くことができるのかどうか。
休暇中に家を貸してもらってとても助かったが、これも日本で根付くかどうかを考えると、根本的な問題として今後居住空間をシェアするメンタリティがどう変化するのかということと密接な関係がある。そして、何よりも「家族」と「居住空間」、家族のプライバシーとパブリックネスのあり方が徹底的に変わる必要がある。ハウスシェアのひっそりとした浸透は、その兆しのようにも感じられるのだが、どうだろうか。
暑い夏には、熱い河内音頭で:すみだ錦糸町河内音頭大盆踊りと二つのCDレーベルの設立

河内音頭が盛り上がっている。知っている人にとっては何をいまさら、という感じかもしれない。けれども、やっぱり今盛り上がっていることは報告しておくべきだと思うのだ。
河内音頭の盛り上がりは、もちろん今に始まったことではない。ある意味河内音頭は、最初からずっと盛り上がっていた。盛り上がっていない河内音頭などそもそも存在しない。
とはいえ、河内音頭が、河内という固有の土地を離れ、日本各地に離散し始めたのはそう昔のことではない。ルポライターとして知られる朝倉喬司が「発見」し、音楽雑誌などで紹介し始めたのは1970年代末。その後東京河内音頭振興隊(現在の前関東河内音頭振興隊)が結成され、1982年には渋谷ライブインで『第一回河内音頭東京殴り込みコンサート』が開催される。
河内音頭が、日本のソウルミュージックとして東京に認識され始めるのはこの時期である。そして、85年には東京錦糸町で「錦糸町大盆踊り '85 河内音頭・東京初櫓」が開催され、その後の関東における広がりの原型を作っていく。
河内音頭といっても、何も知らない人は「ああ、盆踊りの一種ね」と済ませてしまうかもしれない。けれども、河内音頭が他の盆踊りと決定的に異なるところがある。それは、他の盆踊りが、「東京音頭」なら「東京音頭」、「炭坑節」なら「炭坑節」と決まった楽曲――その多くは古くから伝わる地域の民謡――に合わせて踊るのだが、河内音頭は多くの場合バンド形式で「演奏」される。その楽曲は、もちろん古典的なレパートリーもあるけれども、その時代時代に対応した新曲もたえず作り出されているのだ。
少し関心のある人なら、河内家菊水丸のことは知っているかもしれない。河内家菊水丸は、「グリコ森永事件」や「リクルート事件」など、話題となったニュースを扱い、河内音頭が持っていた社会批評的なニュース読みとしての特徴に再び関心を向けさせた。こうした盛り上がりの中で、1991年には『日本一あぶない音楽 河内音頭の世界』が前関東音楽振興隊編で出版された。この時期を、第一次河内音頭ブームと呼ぶことができるだろう。
けれども、今の盛り上がりは、70年代末から90年代初頭とは幾分異なっているようだ。実は私自身もこのことに、つい最近まで気が付いていなかった。たまたま私の研究室で河内音頭研究をしている藤本愛によって、教えられたのだが、それは、彼女が東京藝術大学の公開研究シンポジウムとして「河内音頭藝術大学」を企画したのがきっかけだった。
シンポジウムには、伊達政保(音楽評論家)、柴山とも子(関東踊り子代表)、鷲巣功(首都圏河内音頭推進協議会議長)、森江宏太(錦糸町河内音頭総合司会担当)、いちばけい(「イヤコラセ東京」管理人)といった現在の河内音頭シーンを支えるそうそうたるメンバーが参加し、現在の河内音頭についての討議を行ったのだが、それに加えて、「幻の音頭取り」とも呼ばれる山中一平によるミニライブと踊りの講習が行われ、普段はクラシックと実験的な音楽に溢れている芸大キャンパスを、河内音頭の強烈なリズムで熱狂の渦へと変容させた。その中で、関東における河内音頭が、これまでとは異なる次のステージに向かいつつあることを感じたのだった。
その一つの契機は、河内音頭のCDレーベルがここに来て次々と設立されたことである。先述の山中一平率いる「山中一平&河内オンドリャーズ/オンステージ」をリリースしたとZASHIKI RECORDS、そして名人と謳われた初音家賢次(はつねやけんじ)の50年前の録音をクラブミックスで復元した「初音家賢次/旅立て俊徳丸」を出した歌舞音曲。こうしたレーベルの動向は、河内音頭を一盆踊りのBGMであることを越えて、ひとつのワールドミュージックとして捉えなおそうという試みと考えられるだろう。
興味深いのは、こうした展開の背後で、河内音頭が東京の庶民の文化として確実に定着しつつあることである。毎夏錦糸町で行われる河内音頭には、三万人の人が押し掛けると聞く。テレビや新聞などマスコミではほとんど取り上げられないこのイベントが、ほとんど口コミだけでこれほど多くの人を熱狂させていることが、今日の河内音頭のしっかりとした浸透を物語っている。
二つのレーベルの誕生は、一方で現在の盛り上がりを河内音頭の発展の歴史の中に位置づける役割を果たすだろう。それは、しばしば歴史から周縁化され、抑圧されてきた庶民の声を取り戻す役割である。けれども、それは決して否定的な衝動からなされるのではない。むしろ、新しく河内音頭が創造されることを通じて、圧倒的に肯定的な熱狂と享楽の中から見出されるのだ。実際、どちらのCDも、伝統という枠に収まりきれない新鮮な驚きに溢れている。
さて、今年のすみだ錦糸町河内音頭大盆踊りは8月25日(水) 26日(木)。鉄砲光丸会、鳴門会に加え、山中一平&河内オンドリャーズも参加する。暑い夏には、より熱い踊りで……・。
すみだ錦糸町河内音頭大盆踊りについては、イヤコラセ東京の公式ウエブサイトで。
http://www.geocities.jp/iyakorase/
このページでは、河内音頭普及の歴史の他、上述のCDの案内なども見ることができる。
http://www.geocities.jp/iyakorase/fm_history.htm
山中一平&河内オンドリャーズ
http://cabin.jp/ippei/
地方都市でアートを続けること:白川昌生・技能実践家としてのアーティスト

意外に思われるかもしれないが、自分の人生と振り返ると東京以外の土地で生活していたことの方が長い。大学までは、小中学校の一時期を除いてはだいたい関西で過ごしていたし、その後ロンドンに行ったり、九州大学で教えていたりしたりしたので、東京で過ごしたのは、おそらく人生の三分の一強である。
自分の著作が東京中心主義だという批判をしばしば受けるが、そのことは私自身が強烈に反省している。これから、私の一つの作業は、東京以外の都市文化の見直しと再生のお手伝いに向かうべきだろう。
いずれにしても、東京に何もかもが集中して見えることは問題だ。たとえば、ヨーロッパには確実に首都以外の街に都市文化が根付いている。たとえば、80年代以降イギリスの音楽シーンを牽引したマンチェスター市は、人口四十万人ちょっとで、百万人前後の仙台市や北九州市よりもはるかに小さく、むしろ前橋市などに近い中規模都市である。
どうして、日本にはこうした中規模都市に文化が育たないのか。
これについてはいろんな理由が考えられるだろうが、その大きな理由は、七十年代の日本列島改造がもたらした弊害がまだ残っていることにある。首都の過密と地方の過疎化の問題を解決するはずだった交通網の整備は、結果的にすべてを東京一極集中化させるいわゆるストロー効果を生みだした。人々は整備された高速道路や鉄道によって、より東京に引き付けられ、東京近郊の地方都市は、東京の「郊外」と化すか、そうでなければ空洞化したのである。
このことは、文化や芸術にも大きなダメージを与えた。それまでどの地方都市にも小さいながらも文学サークルや芸術サークルがあり、独自の文化を育んでいた。ところが交通網と情報網の整備によって、均質化された日本国土は、地方の固有の、豊かな文化を消し去りつつある。インターネットは決定的にダメージを与えるメディアになるかもしれない。
むしろそうであれば、今重要なことは、繋がることではなくて、むしろ切断すること、あえて距離を取ることではないだろうか。
今回、紹介したいのは、そうした中で独自の活動を続けている前橋のアーティスト、白川昌生である。白川はドイツから帰国後、群馬県前橋に住み、場所にこだわりながら作家活動を続けてきた。「場所 群馬」というのは、そうした白川が地元の作家たちと立ち上げたプロジェクトである。それは、地域の歴史や人々、そして土地に徹底的にこだわりながら、アートを考え、作るプロジェクトである。ここで、重要なのは、単に表現するだけではなく、そこで生活ができる環境を作り出そうという点である。
「場所群馬」のホームページでは、次のようにコンセプトを紹介している。
まず、作家にとって作家活動のみで暮せる環境を作り出していくこと、から始める必要がある。当然ここには制作のみならず生活のあらゆる場面が設定されていく。そこを作家一人だけでなく、共感者、NPO的な人たちが関わって環境を変容、拡大していく活動の可能性の場がうまれてくる。
アーティストだから作品を売るのは当然として、白川の興味深いところは、単に作品を売ることを越えて、より広範囲なアートをめぐる経済――ある種の贈与経済――を作り出そうとしている点である。たとえば、地域通貨に代表されているオルタナティヴな経済の実験もここには含まれている。
白川昌生は、アーティストであると同時に、アマチュアの美術史家であり、すぐれた美術批評家でもある。「アマチュア」というのは、否定的な意味ではない。むしろプロの美術史家が事実関係の確認や瑣末な歴史的事実に耽溺しがちなのに対し、彼が提示するのは一つのパースペクティヴ、世界観である。
その端的な例は、『日本のダダ:1920-1970』のような仕事に見ることができる。日本におけるダダの影響やオリジナルなダダの動向を図版によって見せるというこのプロジェクトは、伝統的な美術史研究からは決して発想できなかったものだ。それは、同時に、アーティストとしての彼自身の足場を探る作業でもある。
その白川が、今年になって5冊目になる批評集『美術館・動物園・精神科施設』を発表した。これは、今日のアーティストの経済と生活のあり方を分析する一方で、近代化における美術館と美術制度が、動物園や精神科施設の制度とどのようにパラレルに形成されたかを論じた意欲作である。
この本の中にはいろいろと論ずるべき論点があるが、特にDIY文化の関連で重要なのは、彼が提案する「技能実践家としてのアーティスト」という概念である。これは、「職業としてのアーティスト」とも「英雄としてのアーティスト」ともちがい、社会の中に入り込みながら、社会を組織し、「感性的、身体的手段によって人々との共同的社会的絆を再生する」(前掲書p.68)役割を積極的に引き受ける人を指している。
群馬にこだわり、中央から距離を取り続けるこの稀有な技能実践家である白川昌生を通じて、地方都市でアートを続けることの意味を考えたいと思う。
場所群馬
http://www.basho-gunma.com/index.html
『日本のダダ:1920―1970』白川昌生編集 水声社
http://www.amazon.co.jp/dp/4891765585
『美術館・動物園・精神科施設』白川昌生 水声社
http://www.amazon.co.jp/dp/4891767596/
あらためてアンダーグランドなポピュラー音楽史を考える:ミック・ファレン、ポストパンク、そして、アーサー・ラッセル

ここに来て、60年代から70年代のポピュラー音楽の歴史を捉えなおす本が立て続けに翻訳された。60年代といえば、もう半世紀近く前の遠い昔の出来事になりつつある。けれども、デジタル化が進み、音楽産業が質的な転換を迫られている今、「そもそも音楽の魅力とは何だったのか」を問い直す時期に来ている。メインストリームとは異なる、これまであまり描かれてこなかったポピュラー音楽史を見直すことは、2010年代の今後の音楽シーンを占うヒントになると思うので、まとめて紹介しておこう。
まず、一冊目は、ミック・ファレンの『アナキストに煙草を』である。ミック・ファレンは、パンクをある種先取りした60年代のサイケデリック・バンド「デヴィアンツ」のリーダーとしても知られる音楽ジャーナリストである。イギリス人らしい独特の屈折した――サカスティックな――文体に彩られたこの本は、自らの60年代のサイケデリック・ヒッピーライフを中心に、もうひとつのイギリスの音楽史を語ったもの。
ジャック・ケルアックやウイリアム・バロウズなどのビート文学やボブ・ディランに代表されるアメリカのロック文化が、ロンドンにどのように受け入れられ、独自の発展をしていったかが、よくわかる。ドラッグにまみれたその生活はどこまでもハチャメチャなのだが、その一方で、その感性は中学生のように青々しく、純粋で、時に痛ましい。70年代以降に商業化されたロックが、その創世記において持っていた政治や他の領域の文化との交錯点をいかに失ってしまったかということをあらためて思い起こさせる。
二冊目は、サイモン・レイノルズの『ポストパンク・ジェネレーション:1978‐1984』。セックス・ピストルズ解散後にジョン・ライドンが結成した「パブリック・イメージ・リミティッド(PIL)」以降数年間の実験的な音楽シーンを「ポストパンク」として括り、当時の雑誌や当事者の証言などから詳細に再構成した本だ。スクリッティ・ポリッティ、フライング・リザーズ、キャバレー・ヴォルテール、DNA、ジェームズ・チャンス&ザ・コントーションズ、スロッビング・グリッセル……。私自身が同時代的に経験した音楽がその当時持っていた「過激」で「革命的」な雰囲気が、生き生きと再現されている。
そして、最後に紹介したいのは、ニューヨークの奇才アーサー・ラッセルの伝記的研究書、ティム・ローレンスの『アーサー・ラッセル:ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』。
アーサー・ラッセルと言っても知らない人の方が多いかもしれない。こう紹介している私も、実は初期のアンダーグラウンド・ディスコ・シーンで活躍した奇妙な実験的ミュージシャンという以上の知識をこの本を読むまでは持っていなかった。
実際にこの本を読むと、ラッセルと彼を取り巻く70年代の文化シーンが、その後の実験音楽(とりわけミニマル音楽)と現代美術、ドラッグ・カルチャーそしてディスコ/ゲイ/ハウス・カルチャーの生成の場だったことに驚かされる。アーサー・ラッセルは、70年代前半にクラシックの演奏者としてニューヨークの実験音楽の拠点だったザ・キッチンの音楽監督を務め、フィリップ・グラスなどの作品収録を行う一方で、ボブ・ブランクやフランソワ・ケヴォーキアン、ラリー・レヴァンなど、先駆的なエンジニア、プロデューサー、DJと協力しながらディスコ/ハウスの草分け的12インチシングルを制作し、自らチェロとヴォーカルを中心としたアルバムを作る。
けれども、そのあまりの変幻自在さのために、ニューヨークのダウンタウンの他の革新者であるフィリップ・グラスやローリー・アンダーソン、デヴィッド・バーンのように歴史の中にほとんどこの奇才はほとんどまともに評価されることはなかった。先述のサイモン・レイノルズは、アーサー・ラッセルの崇拝者であることを公言しているが、『ポストパンク・ジェネレーション』ではほとんど触れられていない。「私たちは、アーサー以外は全員が受け入れた……。彼は人生の最後までアンダーグラウンドなミュージシャンだった」(グラスの回想)のである。
アーサー・ラッセルを今再発見することは、今では別々に分かれてしまったミニマル音楽以降の実験音楽やニューヨークのアートシーンとハウスミュージックの接点をあらためて考えなおすことだろう。
さて、こうしたポピュラー音楽史の再検討を、世代的なノスタルジーとして括るのはもったいない。実際、私のような比較的世代が重なる者にとっても、初めて知る事実の方が多い。むしろ、その頃「音」として知ることができなかった音楽が、さまざまな文化の重なりあいから生まれていた事実をあらためて音楽の可能性として考えたい。それは、非物質的なデジタルデータのやりとりに還元されがちな最近の音楽を、文化と政治と生活の中に位置づけなおすことなのだ。
ミック・ファレン『アナキストに煙草を』(赤川有起子訳/メディア総合研究所)
http://www.amazon.co.jp/dp/4944124376/
サイモン・レイノルズ『ポストパンク・ジェネレーション:1978‐1984』
(野中モモ・新井崇司訳/シンコーミュージック・エンターテイメント)
http://www.amazon.co.jp/dp/4401634047/
ティム・ローレンス『アーサー・ラッセル:ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』
(野田努監修・山根夏美訳/ブルース・インターアクションズ)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860203623
もうひとつのコモンズ:ドキュメンタリー映画『グッドコピー・バッドコピー』

前々回にブレット・ゲイラー監督の『RiP! リミックス宣言』を紹介したが、今回は、この延長線上にありながら、オルタナティヴなコモンズ(共有物)の具体的なあり方を紹介しているドキュメンタリー映画を紹介したい。アンドレアス・ジョンセン他によるドキュメンタリー映画『グッドコピー・バッドコピー』である。
2007年に制作され、デンマークのテレビ局で放映されたこの作品は、現在はウエブ上でも公開されており、だれでも見ることができる。監督の一人であるアンドレアス・ジョンセンは、グラフィティを描いた映画『インサイド/アウトサイド』やブラジルのスラムで育まれた音楽バイレファンキの最重要人物ミスター・カトラを追った『ミスター・カトラ:キング・オヴ・バイレファンキ』などの監督として知られ、日本でもDVDがリリースされているから読者の中には知っている人もいるだろう。
『グッドコピー・バッドコピー』は、『RiP! リミックス宣言』と同様にガールトークやDJデンジャーマウスをはじめ、既存の音源や映像を作ってラディカルな表現をしているミュージシャン、デジタル時代の著作権のあり方に取り組んでいる研究者、企業や研究所のインタビューを通じて、新しい文化のコピー(複製)のあり方を探ろうというものだ。
海賊党をはじめとする欧米の議論も興味深いが、それ以上に面白いのは、非西欧の場所で行われている制作の実践である。特にナイジェリアの映画産業「ノリウッド」とブラジルの「テクノブレガ」の例がすばらしい。
インドの映画産業が「ボリウッド」と呼ばれ、「ハリウッド」とは全然違った形で世界的にも一大勢力となっているのは、よく知られるが、それに続く映画の生産拠点として注目されているのがナイジェリアである。
『グッドコピー・バッドコピー』によれば、アメリカの一年の映画製作本数は611本、インドは900本であるのに対して、ナイジェリアでは何と1200本の映画が製作されている! ナイジェリアの人口は約1憶五千万人。世界八位の人口を誇るこの国の市場は、日本よりも大きい。もちろんアフリカでは最大である。
こうした国にもかかわらず、ナイジェリアには西欧の著作権法に相当する法律がない、という。なぜか? 映画は最初にDVDという形でリリースされるのだが、この正規版が十分に安いので、海賊版の競争力がないのだというのである。映画は、主として「アラバ国際マーケット」という市場で売られるのだが、映画の公開とほぼ同時期に廉化の正規版を出すことによって海賊版の侵入する契機をそもそも封じ込めようというのが、映画産業の戦略なのだ。法律ではなく、ビジネスモデルによって海賊版を無意味化しようというのである。
テクノブレガのビジネスモデルも興味深い。そもそもテクノブレガ自体が、既存の曲をリミックスすることで作られているので、権利関係を考えるとCDというパッケージ商品では販売がむずかしいものだ。テクノブレガの楽曲の多くは複製されたCDとして道端で露天商によって売られている。
それでは、ミュージシャンはどのようにして生計を立てているのか? それは大きなイベントを定期的に組織することによってである。安価で売られているCDの売上はミュージシャンには還元されないが、それをプロモーションツールとして使っているのである。
こうした手法は、新聞にCDをおまけとして付けて配布したプリンスの戦略に似ているかもしれない。けれども、テクノブレガが重要なのは、一人の天才的なミュージシャンがこうした戦略を取っているのではなく、シーン全体として新しい経済の仕組みを作っていることである。たとえば、パーティやイベントに来たお客さんは、たった今プレイされた曲のCDを「おみやげ」として買うこともできるようにしているという。
ノリウッドやテクノブレガの例を見ていると、欧米の著作権のあり方が、必ずしも絶対的でも普遍的なものでもなく、それ以外に経済として成立させうるいろいろな方策が存在することがわかる。実際に機能している、このようなオルタナティヴな経済に対して、一元的な市場原理を押し付けるのではなく、その中にむしろ未来の経済モデルの可能性を見出すことが今求められているのではないか。
『グッドコピー・バッドコピー』は、現在「フリーメディア・リサーチラボ(FMRL)」を中心に翻訳チームが字幕を付けているという。夏には上映会が予定され、ウェブ上でも見られるようになるはずなので、日本版で見たい人はあとしばらく待っていてほしい。
『グッドコピー・バッドコピー』HP
http://www.goodcopybadcopy.net/
フリーメディア・リサーチラボHP
http://freemedia.researchlab.jp/about/

最近のコメント
1年 39週前
1年 39週前
1年 39週前
1年 43週前
1年 43週前
1年 43週前
1年 43週前
1年 43週前
1年 43週前
1年 43週前